西洋思想の源流から見る応用倫理学 2

はじめに

応用倫理学の概要について、半期をかけて紹介をしてゆきます。様々な学説の紹介が主となりますが、いくつかの点について問題提起をしてゆきたいと思います。

はじめに採り上げるのは「生命倫理学」です。最初にその概略を紹介してから、その元々の視点に立ち返り検討をしてゆきたいと思います。

生命倫理学

生命倫理学とはBioethicsの訳語です。もちろんBioはギリシア語のBios=生命と、ethics=êthikê=倫理学の組み合わせからなる造語です。

八幡英幸さんの「生命をめぐる諸概念の動態」(1998)によると、1970年にVan Rensselaer Potterによってこの語が初めて用いられた当初は、環境倫理という語で今日意味される問題をも含む、広い意味での「いのち」に関わる倫理学が意図されていたようです。

しかしその後主として臓器移植を巡る議論の中で、学の字が外れて「生命倫理」と呼ばれるようになると、医療に従事する者の守るべきルールといった意味で使われるようになってきたようです。そうした場面で論じられる生命倫理の場合には、医療従事者と患者との関係が主となります。とりわけ医療従事者はどのように患者と接するべきか、といった意味で用いられています。

ここでは倫理学の立場から、「生命倫理学」の意味を考え直してみましょう。具体的には、ルールの作成やルールの遵守という側面よりも、生命と健康に関わる倫理的問題そのものの理解を深めようとするのが生命倫理学であると言えるでしょう。

ヒポクラテスの誓い

医療の目的は病を癒し、人間をできるだけ長生きさせる事にあります。中世から近世にかけて欧米では医学部を卒業すると「ヒポクラテスの誓い」という宣言をさせられました。日本でもこの習慣は残っているようです。

Bookmark 「ヒポクラテスの誓い」の日本語訳全文はWeb上に沢山あります。英訳の付属したものが見たければ金沢医大の文書などが良いでしょうか。少し省略されていますが、もっと読みやすい和訳もあります。

原文は元々はギリシア語で書かれています。テキストの読みに関する研究としては、山梨医大の川田さんの論文がギリシア語の読めない方にも有益でしょう。また内容についての英語による簡単な注も参照してみて下さい。

「ヒポクラテスの誓い」を読むと、医師は仕事の目的を達成するために全力を尽くし、それに反するいかなる事もしないとあります。したがって人を死に導くような薬は処方しないと言いますが、人工妊娠中絶をしない、さらに解釈によっては患者を傷つけるような外科的手術もしないと言っているとも受け取れます。これは「ヒポクラテスの誓い」が主として内科医を想定していたためと考える事も出来ます。しかし、その基本精神を否定する医師はいないにしても、現代の医術は近代以前の医術とは別の側面を有していると見る事もできるかもしれません。

そこでこの誓いそのものではなく、現代風に都合良く書き改めたものを読む事もあるようです。元々の誓いが西洋で広まったのは善行の勧めと中絶の禁止といったキリスト教倫理と合致していたからと考えられます。またこの誓いを参考にしながら作られたナイチンゲール誓詞は、いまだに元のままの形で誓われているようです。

参考   Florence Nightingale Museum

キリスト教の医療倫理

医療技術の進歩

概要

医療技術の進歩により生命に対する見方が大きく変わってきました。これまで一般的には生命の誕生を、胎児が母親から離れる分娩時であると見なしていました。

しかし、生物学的には卵子と精子が結合して新しい細胞が誕生した時ですし、医学的には心臓が鼓動を初めて打った時であるか、脳が活動を始めた時となるでしょう。

同様にして、死の時期を決定する観点にも様々なものがあります。生物学的には細胞の死ですが、身体のどの部分の死なのか、あるいは身体全体の死なのかで見解が分かれます。部分としての死としては、心臓の停止(心停止)、脳の活動停止(脳死)等が考えられます。

臓器移植が技術的に可能となると、死の定義が重要となってきました。心臓移植のためには心停止では困るので、脳死すなわち中枢神経系の停止をもって人の死と見なすという基準が作られました。

現行の「臓器の移植に関する法律」全文を参照。またこの法律の「運用に関する指針(ガイドライン)の制定について」という保健医療局長通知も併せてご覧下さい。

また『中央公論』2001年2月号掲載の森岡正博さんの『日本の「脳死」法は世界の最先端』を参照。

生命倫理学

医療技術の進歩に伴い、様々な要求が医療現場から寄せられるようになりました。死の定義を巡る問題の他に、「全く」回復の見込みのない患者に対する治療の問題もその一つです。技術の進歩によって、そうした患者を人工心肺装置の助けによって延命させる事が可能になりました。

こうした患者の増加によって、回復の見込みのある他の患者が十分な治療を受けられなくなったり、社会全体としての経済的負担増といった点が問題となってきます。

延命装置の発達という技術の進歩を追認するようにして、提唱されるようになった考え方に生命の質(Quality of life)という観点があります。この考え方によれば、ある治療を受けるためにそれまでの生活を全て否定しその結果わずかな延命が可能になる場合と、治療は十分ではないがそれまでの生活を可能な限り続けるような場合とを比較・対比して、患者の希望をできるだけ取り入れて延命治療に取り組もうという事になります。

生命倫理学の立場から考えると、この場合には患者の自己決定権を尊重する、という基本的態度が見えてきます。どのような治療を行うかは、医療従事者が決めるのではなく、患者が医療従事者からの助言を参考にして、自分で決めるという原則があるのです。

しかし我が国では未だ患者の人権が十分に守られてはいない現状があり、こうした基本的な権利さえ完全には守られていません。

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©SAITO Toshiyuki