最初は前回からの引き続き、一部は繰り返しになりますが、人間以外の動物や自然に自らの権利を訴える資格があるかについて論じます。結論から言えば、動物や自然には訴えるだけの知的能力がありません。そうした知的対応能力がないものに、権利はないと考える事も出来ます。彼らは自分の権利が侵害されても、法的対応措置をとる事が出来ません。
しかし、だからといって、我々人間の側に動物や自然に対する義務がないわけではありません(動物を虐待してはならない、という義務は人間にはあります)。動物や自然は人間と同じ資格での道徳的主体ではありません。彼らのなかに、かなりの程度の理性があると認められる種があるとしても、「道徳的主体」としての要件を満たしてはいません。道徳的主体とここで言うのは、自らの行動に責任を持ち、義務を果たせるものを考えています。
動物を虐待してはならない、という義務が人間の側にあるからといって、動物の側に虐待されない権利があるわけではありません。権利を持てるものは道徳的主体だけである、と考える立場があります。権利と義務とは対等な主体の間で初めて成立すると考えられています。そして対等な関係が成立するためには、こちら側だけではなく相手側にも一定レベル以上の理性が要求されると考えられます。
以上の考え方を完全義務と呼んでいます。それに対して、一方的に義務が生じる場合を不完全義務と呼びます。相手側に一定レベルに満たない理性しかなくて、それが道徳的主体でなかったとしても、われわれ人間には不完全義務があると考えられるのです。ここから相手が乳幼児であったりボケ老人であっても、われわれには扶養の義務が発生してきます。そして人間以外の動物や自然に対しても、同様の意味での義務があると考えられます。
完全義務は義務のうちの相互性を重視し、不完全義務は責任性を重視しているとまとめる事ができるかも知れません。
前回紹介したように、米国だけでなくわが国でも動物や自然が原告となった訴訟が起きています。しかし一般に本人が訴えを起こせない場合に代理人が立てられる際には、本人の同意に基づいて代理人が雇われて、本人の意図する範囲内で本人の指示に従って訴えを行います。
しかし動物や自然には代理人に対して何らかの同意やその意図を指示したり出来ません。前回紹介したように個人だけではなく「法人」にまで人格を拡張してきた延長線上に、人間以外の動物や自然を置くという考え方を用いなければならないように思われます。
生き物を保護する基準