生命と環境を考える「応用倫理学」の最終回は、主として「いのち」の意味を、西洋思想の原流の一つであるプラトニズムの視点からどのように位置付けられるかを見てみたいと思います。
プロティノスはこの論文の中で、人間の幸福を考察しているのですが、同時に他の動物や植物についての言及も含まれています。ここで注目するのはそうした言及の箇所です。以下の項目について、議論の内容を紹介してゆきます。(概要、詳細は講義にて)
幸福は全体としてロゴス的生命に依っている、とプロティノスは考えます。人間は感覚的生だけではなく、ロゴス的で真の知性的生をも持っているのだから特別な存在であると彼は考えます。そして生命という名は同じく語られても、すなわち植物について語られる場合と、非ロゴス的動物について語られる場合では意味が異なり、鮮明さ朦朧さに関して異なっており、善さについてもそれと相似的に異なっている、という表現でそれぞれを区別しています。
そして、ロゴスを有しない人間は、そもそも人間ですらないとまで言っています。したがってロゴスを有して生を送っている人の生活は、自分だけで満ち足りているのです。そうした情態にある人が何かを求めるとした、それは肉体のために仕方なく求めているに過ぎないと断じます。
家族の者や友人達が亡くなってその人を悲しませても、その人自身ではなくその人の内の知性を有しない部分を悲しませるのであって、その部分の悲しみをその人が受ける事はないのである、と言っています。
以下の議論の詳細は『幸福について』拙訳を参照下さい。