西洋思想の源流から見る応用倫理学 8

カントの自殺禁止論

前回採り上げた自殺に関する問題を本格的に論じているカントの議論を、彼の『道徳哲学』[Metaphysik der Sitten. Metaphysische Anfangsgruende der Tugendlehre, Immanuel Kant (1797)]に則して紹介します。

自殺は自分に課せられた義務に背く事であると観られる。しかし人間が自分自身を辱め得るという事は理にそぐわないと思われる(なぜなら自ら欲して不正をなすものはないから)。

ストア派は、生きていても何の役にも立たない場合には、目の前の悪に煩わされることがなくなるために、安らかな魂を得て、喜んでこの世から立ち去ってゆく事を、賢者の優れた人格の一つと考えた。しかしそうした死を恐れない勇気と、自己の生命よりも更に価値のあるものを知る心の強さがあったならば、その強さによって、その強さを備えたような素晴らしい自己を、自ら破壊することなく、すなわち自ら生命を奪うような事をさせないようにさせなければならなかったであろう。

人間は義務について語り、生きている限り、人格を捨ててしまう事は出来ないのである。そしてあらゆる責任から逃れる権限を持っていると考えるのは矛盾である。自己自身の人格の内なる道徳性の主体を絶滅する事は、道徳性そのものの存在をこの世からなくしてしまうのである。

道徳性そのものが目的それ自体なのであるから、自分にとっての何らかの目的のために、その単なる手段として自己を扱う事は、自己の人格の内なる人間性の品位を奪う事である。人間は自らの人間性を保存するように委ねられているのである。

他人に移植するために歯を抜くとか、良い声を得るために歌手が去勢するなどというのは部分的自殺に属する。

しかし生命に害を及ぼすような器官を除去するとか、毛髪を切るといった事はこれには含まれない。しかしその場合でも、何らかの利益を目的にしている場合には、全く罪がないとは言えない。

問題

祖国を救うために死ぬ事が分かっていながら敵へと突進する事は自殺になるのか。それとも人類を救うための身を犠牲にするような殉教や英雄的行為と見なされるのか。自分の上官が不正な死刑宣告をした場合に、その前に自殺する事は許されるのか。あるいは王が敵に捕らわれて膨大な身代金を要求される前に、その王が自殺する事は許されるのか。

狂犬病に掛かった犬にかまれたが、自分はこの病気が治った人を知らない場合に、他人を不幸にしないために自殺するのはどうか。その行為によってその人は、不正をなしたのか。種痘を受ける者は自己の生命を保つために、自己の生命を危険にさらすのである。

注 ; 狂犬病は潜伏期間中 [約一ヶ月] にワクチンを用いれば完治しますが、発病すると現在でもほぼ 100% 死亡します。天然痘は既に地球上から根絶されていて、日本では 1976 年以降種痘は廃止されている。主な感染経路は空気伝染。致死率は 30〜50% で、治癒しても盲目になったり顔面にアバタが残る。かつては人工的にウイルスを人体に植え付け免疫をつけたが、エドワード・ジェンナーによって牛痘(牛の天然痘)を用いるワクチン(Vaccine は、ラテン語の牝牛 = Vacca から)が開発された。人痘種痘法には危険が伴っていた。

ここで教室では小レポートを書いて頂きました。テーマは 1「自殺は許されるか、許されるとすれば、許されないとすれば、どんな理由からか」 2 「自分の愛するものを守るために、自分が死ぬと分かっているのに戦う事は自殺か、その答えと理由」

当日何らかの理由で提出できなかった学生は、次回の講義時にも受け付けます。レポート用紙一枚程度。

死ぬ権利

身体の処分としての自殺が患者の自己決定権の延長上に認められるかについては考え方の分かれる点である。わが国では死ぬ権利が認められてはいない。

滑り坂理論

的確な歯止めがないと、限りなく拡大解釈がなされてしまうという警戒する考え。

安楽死が切実な問題として考えられる場面とは何か。末期癌の患者が自分自身で判断を下せる場合には、自己決定権を死にまで認めるかだけを考慮すれば良いと考えられる。

しかしたとえば重い障碍を持って生まれてきた新生児の場合はどうであろうか。考えてみよう。

新生児に尊厳死を選択する能力はない。胸から腹の部分の皮膚が完全に無く内臓が飛び出したまま生まれてくる場合。手の指の間が引き締まらないで、各指の間に水掻きが残っている場合。四本指や六本指の子供や、又親指が小指と同じような大きさでその骨や筋肉の弱い場合。腕が通常に伸びず、手がひじ関節の部分から生えている場合やその他類似の腕の未成熟。いわゆる無頭児、頭部が未成熟で生まれる場合。双頭児・一つ目・鼻の無い子供・足の指の奇形・性器の奇形・等の場合。

現実には多くの場合で治療が行われずに死産として処理され、闇に葬られてしまう。

ターミナルケア

人生の終末(ターミナル)を豊かに過ごすことは、人生そのものを豊かに過ごすことを真剣に考えるならば無視できない大切な問題であろう。「終末期医療」において目指されるポイントを考えてみよう。

これまでも見てきたように、医療・福祉が目指すのは「単なる生命の維持」ではなく、人間の幸福である。幸福の実現に際して考え出された概念が QOL(クオリティ・オブ・ライフ)であった。QOL に配慮し量(長さ)だけではなく生命の「質」にも注目し、いたずらな延命措置を行わず、痛みの緩和を中心として患者の幸福感、満足感の充足に努める医療を、ターミナル・ケアと呼ぶ。

キュアとケア

身体の治療(cure)は患者の病状の改善を目指すが、介護(care)は患者の QOL を高めることを第一に考える。病状の改善が困難な慢性・末期の患者に対しては、単なるキュアだけでは QOL の観点を考慮に入れるとさまざまな疑問が生まれてくる。もちろんキュアとケアは並行して行われる。

ホスピスと緩和ケア

ホスピスの実際
  1. 身体的ケア(患者の日常の食事管理、緩和医療、ペイン・コントロール)
  2. 心理的ケア(医療グループとの信頼関係、生活態度、入院生活のあり方のケア)
  3. 社会的ケア(職業、経済力の問題、夫婦関係のあり方)
  4. 死生観的ケア(宗教や死への態度、人生の意味を考える)
  5. 家族のケア(看取る家族に対するケア、遺族へのケア)

このなかで中心となるのが痛みを和らげるケアである。これによって食事、睡眠、排泄が可能となり、心理的な安定がもたらされる。

緩和ケア(Palliative care)

パリアティブ・ケアは「緩和ケア」と訳される。病気が直らなくても苦痛から解放されて残された日々を送ることは、多くの人々の願いである。症状の改善が見込まれる場合には、手術や放射線治療がなされる場合もある。そうした手段によって症状が緩和されれば、身体の状態が改善され、精神的にもプラスになるからである。緩和ケアといっても全く治療をしないわけではない。

在宅ケア

ガンなどで末期状態になった患者の過半数が、自宅での死を望んでいる。しかし現実には在宅死は減少し、病院死がほとんどである。今後は出来るだけ生活を支えるという視点から在宅ケアを中心にしたターミナルケアが望まれると考えられる。

訪問看護などを通じて患者への支援が行われるとはいえ、在宅ケアにおける主な担い手は家族である。その際には、医学的管理、介護援助、心理学的サポートなどが必要と考えられる。

更に具体的には、家事、介助、話し相手、連絡調整、遺族のケアなどがある。最後の点は、悲嘆教育とかグリーフケア(grief care)と呼ばれる。

その他、症状の観察、清拭・洗髪・入浴介助、床ずれの予防と処置、体位変換、寝具・寝衣交換。リハビリテーション、食事・排泄の援助・精神的な支援。治療上の補助(カテーテル類の管理)家族等の介護相談及び、介護機器の利用相談と紹介など。

ビハーラ

ビハーラとは古代インドのサンスクリット語で、休養の場とか寺院を意味する。「仏教ホスピス」という表現に代わる、仏教を背景としたターミナル・ケア施設の呼び名である。キリスト教との関係が深いホスピスに代わる語として用いられることがある。

ビハーラ病棟では、疼痛や症状緩和を行う専門の医師の他に、看護、援助、宗教家やソーシャルワーカーらが協力して全人的なケアを行うよう配慮している。またお見舞いの人のため、看護疲れを癒す場としての家族室も設けられている。好みの食事を家族が調理できるようファミリーキッチンが用意されている。

サイコオンコロジー(精神腫瘍学)

Psycho-oncology とは、ガン告知を受けた直後のストレス、再発の恐怖によるストレス、痛みなどの身体症状によるストレスに対応するために提唱された。臨床心理学の専門家も協力してガン患者の心理面を支援しようという取り組みである。

グリーフケア(grief care)

グリーフすなわち「悲しみ」に対するケア。長寿社会になればなるだけ、生きている間にさまざまな別れを経験することになる。夫婦のどちらかが先に亡くなる。親の死は多くが経験する出来事である。子供の死に出あうこともまれではない。このように日常的ですらある死について、われわれはそれをタブーとし真正面から考えていない人が多い。死について素直に向かい合い話し合うことは非常に大切なことである。

身近な人との死によるわかれは、自分自身の死と同じくらい大きな試練であり、人生の中で最もストレスの強い体験である。そのために死亡したり、病気になったりする遺族もいる。孤立感、疎外感を持ち絶望に押しつぶされてしまうと人は死んでしまうものだ。自身の病気、定年退職、失業などが死別の経過を悪化させることもある。

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©SAITO Toshiyuki