古代ユダヤ人(=ヘブライ人)の民族宗教であるユダヤ教からキリスト教は生まれました。ユダヤ人をイスラエル人と呼ぶ事もありますが、イスラエルは古代および現代の国名ですので、ここではユダヤもしくはヘブライ人と呼んでおきます。
ユダヤ人は、紀元前2000年頃からパレスチナ地方(=地中海東海岸のヨルダン川沿岸)にやってきました。かれらは長い間、他民族に支配され各地に移住する事を強制されるといった苦しい生活を送ってきました。そうした歴史の中で民族の団結を保つために生まれたのがユダヤ教です。
ユダヤ教は、この世界を創ったのはヤーウェ(Yahweh)であり、他の民族とは異なりこれ以外の神を認めない一神教と呼ばれるものでした。苦難の下にあったユダヤ人は自分たちをヤーウェから唯一選ばれた特別な民族であると考えました(=選民思想)。現在は苦しい生活を送っているが、ヤーウェの意思として示されたきまり(=律法)だけを信じ、守ってゆく事によって、将来、神が自分たちを救ってくれると信じていました。
こうしたユダヤ教の生まれたパレスチナの地は、東のメソポタミア、西のエジプトにはさまれた両勢力の衝突する地域でした。古代イスラエル王国が独立を保てたのは、ダビデ王(前1002?〜962?)を頂点とする500年ほどでした。それ以外の時期はバビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマといった歴代帝国の支配下に置かれていました。
ヤーウェはユダヤ人の祖先であるアブラハムにあらわれた事から、彼とその子、孫の名をとって「アブラハム、イサク、ヤコブの神」とも呼ばれます。これは彼らの生涯に神が一々深く関わっている事を示します。またエジプトでモーセ(次で触れます)にあらわれた際には、「そこにいるであろうものとしてそこにいるであろう」と称しています。ヤーウェはこのように目には見えないが、個々人の様々な場面に具体的に関わる神なのです。
エジプトで奴隷生活を送っていたユダヤ人達は、紀元前13世紀ごろモーセに率いられて脱出し帰国します。ところが水や食料に窮した人々は、奴隷生活を懐かしみ金の子羊を造って拝んでいました。そこでモーセたち指導者は対策を話し合い、シナイ山のふもとの荒野で基本的規則を人々に公表しました。その規則は覚えやすいように10ヶ条からなり、右手で数える最初の5ヶ条は社会と神との関係を、後の左手で数える5ヶ条は社会の中の人間同士の関係を規定しています。これをモーセの十戒と言い、ユダヤ教の全ての律法の基礎となっています。
『旧約聖書』によれば、モーセがシナイ山で神から授けられた事になっていますが、本当のところは分かりません。今述べたように、ユダヤ人社会のまとまりを保つために指導者たちが考え出したのかも知れません。ともかく神が人々に呼びかける形式になっています。その内容を簡単に要約すれば次の通りです。
教科書では最初の4ヶ条が社会と神との関係であり、残り6ヶ条が社会の中の人間同士の関係を規定しているとしていますが、第5番目の律法は上記の通り、社会の中で伝えられてきた祖先の記憶を尊重しなさいという、単なる親孝行以上の事を言っていると考えられます。そこでここでは前の群に区分しました。
ダビデ王の王国は分裂し、紀元前6世紀ごろ人々はバビロニアに連れ去られました(バビロン捕囚)。神の声を伝える者を預言者と言いますが、その一人であるエレミアは、バビロン捕囚のような苦難は律法を守らなかった人々への神からの罰であると説きました。しかし神はユダヤ人たちを許して、救い主(メシア=messia)をこの世に送る事を約束しました。こうして人々はバビロンから帰ると、メシアの出現を待望しながら律法を遵守した暮らしを続けたのでした。
神から選ばれた民族でありながら、何度も律法を破ったからこそ、その度に苦難を神から与えられたのであったとも言えるでしょう。最後の望みとして人々の許に送られるメシアへの期待が次第に高まっていったのです。
相次ぐ外国勢力によるパレスチナ支配の下で、メシアを待ち望む期待は人々の間に一層高まって行きました。他方、形だけ律法さえ守っていれば良しとするパリサイ派や、ローマの支配層と結んで自分達の権利を守ろうとするサドカイ派が力を持って行きました。
イエスの生涯については次回で採り上げます