イエスの生涯については『新約聖書』の中の『福音書』(ふくいんしょ)に記されています。『新約聖書』の「新約」とは神との新しい契約という意味です。イエス以前の「旧約」は長いユダヤ人の歴史の中で交わされた契約である。それに対して「新約」はおよそ紀元前50年から紀元後50年の比較的短い期間に書かれたものです。
「福音」とは元々は「良き知らせ」という意味で、神や救い主の訪れを人々に知らせる書を指します。イエスの生涯については、イエスは何も書き残さなかったので、「共観福音書」と呼ばれるイエスと同時代に生き、教えを受けた弟子たちによって書かれた「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」を通じて知ることができます。
しかしこれらの「共観福音書」は、イエスの死後数十年経ってから書かれたものですし、その意図も純粋な伝記ではなく、イエスに宗教的意味付けを与えるものであった点に注意しなければなりません。
イエスは紀元前4年ごろ、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ちました。父がいなかったので、大工の仕事をしながら母のマリアや兄弟たちを養っていました。
神の国は近づいたとして人々に悔い改めと洗礼を施していたヨハネから、32歳ごろ洗礼をうけました。その後、荒野での修行を積み、独自の活動を行うようになったようです。
その教えは、「主の御霊が自分には宿っている。貧しい人々に神の言葉を伝えるために自分は神から遣わされた」というものでした。彼は一般市民から絶大な人気を得ましたが、律法をの遵守するパリサイ派や、貴族階級のサドカイ派と対立し、武力で外国の勢力と対決しようという庶民階級からも次第に見放されてしまいました。
そしてついには、弟子の一人であるイスカリオテのユダに裏切られ、エルサレムで捕らえられ、ローマ帝国の総督ポンティウス・ピラトゥスによって皇帝に対する反逆の罪で二人の強盗犯と共に、ゴルゴダの丘で十字架刑に処せられました。まだ34、5歳であったようです。
最も古い福音書作者マルコによると、イエスの教えの中心は「時が満ちて、神の国が近づいた。悔い改め、福音によって信じなさい」(マルコ1-15)というものでした。
このようにイエスは「神の国」=神の支配がやってくる事を人々に告げたのでした。しかしその中身について詳しくは話していません。ただ人々に神の国がやってきた時に、どのように生きるべきかを語っています。
イエスは律法に形式的に従うだけでは十分ではないと考えました。たとえば律法では安息日に働く事を禁じていますが、病人を見ても安息日だからといって治療しないのは愚かな事であると彼は語っています。
外に現れる人間の行動でだけ律法を守っていては神の教えに忠実でないと考えたのです。情欲を抱いて異性を見ただけで、姦淫をおかしたのと同じであると彼は言います。形式だけではなく、心の中のありようが伴わなければ律法は意味を失うと主張したのです。
神に対する信仰とは、このように心の持ちように関わるのですから、行動によってだけルールを守っていたのでは十分ではないと考えたのです。
イエスの思想の中心は「愛」の思想です。それは「神を愛しなさい」と「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」の二つからなります。後の倫理思想に大きな影響を与えた「自分がしてもらいたいように、他人にしなさい」は黄金律と呼ばれる事もあります。
イエスの説く「愛」は、完全なものである神が、不完全な人間に対して与える、見返りを求めない愛(=アガペー)です。アガペーはあらゆる人に平等に与えられる愛なのです。
十字架に架けられて刑死したイエスは、預言通り復活して昇天したという信仰が広まりました。最初期のキリスト教には様々なグループがありましたが、ユダヤ教による迫害にもかかわらず信者を増やして行きました。
漁師だったシモンはイエスの最初の弟子となり、ペテロと呼ばれました。彼はイエスが捕らえられると自分もとらえられるのを恐れてイエスとの関係を否定しました。しかし後にそれを悔やみ、イエスの死後は教団を率いて外国人への布教に努めましたが、ローマで殉教(じゅんきょう)しました。
その他、ヤコブ、ヨハネらイエスの直接の弟子たちは、12使徒と呼ばれます。