彼らの数学分野での具体的研究は、音楽においてなされたと推測されている。
弦楽器の弦の長さとそれが作り出す音程の関係の内に単純な比を見出し、そこに何がしかの神秘性を認めていたのである。
弦の長さが2対1の場合には1オクターブ、3対2の場合には5度、4対3の場合には4度という三つの音程を発見したという伝承は、いわゆるピュタゴラスの定理も3対4対5という整数比を元にしている事を知る時、発見の前後関係を推測させる証拠となるように思われる。
すなわち和音(すなわち調和の取れた音)を作り出す音階相互が、単純な整数比で表せる点に何がしかの神秘性を感じたと思われる。更にこの単純な整数比は、あらゆるもののうちに見られる三角形においても見られる事を発見すると、彼らの確信はますます深まったであろう。
その上調和の取れたもの(調和=kosmosを持つ)は、音階や図形だけでなく、天体の運行においても見て取れる。ここに到って彼らの確信はますます固まり、宇宙全体が単純な「数」に支配されている、あるいは単純な「数」というそれ自体は目には見えないが、知識を得た者だけが関知できるものの「神秘的力」が世界を支配している、という信念に到ったと推測される。
数学を学び、極める事によって、この世界を背後から支配する力を見極めるならば、魂の迷いは消え「浄められ」、永遠に続く苦難のサイクルである輪廻転生から抜け出す事が出来ると考えたのであろうか。
また一般には路傍で打たれる犬を見て、止めよ、その魂は私の友人のものだから、という有名な逸話は恐らく作り話であろうが、魂不滅と輪廻転生という教説が元になっていると推測される。数学だけが魂を清める手段であると彼らが考えていた訳ではない。伝えられるピュタゴラス派の戒律には、次のような禁欲生活の教えがあったらしい。
1.豆を食べてはならない。2.落ちたものを拾ってはならない。3.パンをちぎってはならない。4.パンをまるのまま食べてはならない、5.心臓を食べてはならない、などが伝えられている。
こうした禁欲的生活の発想も、彼らの信念に根ざしていると考えられる。つまり魂にとって身体に関わるものは、究極的には苦難をもたらすものに過ぎない。
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