原子論者1

ギリシア北方の僻地アブデラの人デモクリトスは、レウキッポスを師とすると伝えられるが、レウキッポスについては詳しい事は分かっていない。両者は原子論の祖と考えられている。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』(岩波文庫、下巻119ページ以降{9巻6章})によると、レウキッポスは、ゼノンの弟子でエレアの人。この事からも彼がパルメニデス以来の「ある」と「あらぬ」から出発して原子論を組み立てたものと思われる。「空虚はあらぬものであるとともに、あるものとくらべて少しもあらぬではない」(断片A7=アリストテレス『生成消滅論』A8)としているからである。

『ギリシャ哲学者列伝』(岩波文庫、下巻132ページ以降{9巻7章})を見ると、デモクリトスの著作が極めて広範囲に渡るものである事が分かる。しかしその殆んどは失われてしまった。しかし彼が多作であったからといって、世に広く知られる事を彼が好んでいたのではない。アテナイに行った時、彼の方はソクラテスの事を知っていたが、ソクラテスの方は彼の事を知らなかったと、伝えられている。彼は極めて勤勉で、部屋に閉じこもって著作に励んでいたのであろう、Sophia(知恵)というあだ名があったという伝承がある(デモクリトス断片A2)。

彼らによると、原子(Atoma)と空虚(kenon)からこの世界は成り、原子の形、並び方、向き、大きさによって様々な差異が生じると考えた。それら原子は物質であり、物質によってあらゆるものが出来ているという「唯物論(ゆいぶつろん)」の立場を取る事になる。アトムに大きさがあるというと異様に感じられるかも知れないが、デモクリトスは宇宙大のアトム等というものまで考えていたらしい。

物質の運動は原理的には予測可能であるから、彼らは決定論を支持する事になる。「ああなればこうなる」という物質の運動を、彼らは「必然」すなわち、そうなるより他にはならない運動として「必然=ananke」と呼んでいた。

未来の事は決まっているという決定論は、その後の思想の歴史の中で、人間の自由との関係で大きな論争の元となる。なぜなら宗教を広めようとするものにとって、相手が信者になるかどうかが既に決まっているとしたら、それどころか、自分が救われる事が決まっているとしたら(そして何より救われない事が決まっているとしたら)、布教活動や信仰そのものにとって重大な危機であるからだ。

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