ユダヤ思想

メシア思想

ダビデ王の王国は分裂し、紀元前6世紀ごろ人々はバビロニアに連れ去られました(バビロン捕囚)。神の声を伝える者を預言者と言いますが、その一人であるエレミアは、バビロン捕囚のような苦難は律法を守らなかった人々への神からの罰であると説きました。しかし神はユダヤ人たちを許して、救い主(メシア=messia)をこの世に送る事を約束しました。こうして人々はバビロンから帰ると、メシアの出現を待望しながら律法を遵守した暮らしを続けたのでした。

神から選ばれた民族でありながら、何度も律法を破ったからこそ、その度に苦難を神から与えられたのであったとも言えるでしょう。最後の望みとして人々の許に送られるメシアへの期待が次第に高まっていったのです。

メシアとは元々、油を注がれた者という意味で、王、預言者、大司祭だけが就任の時に儀式として油を注がれました。キリストとは、メシア(=救世主)のギリシア語訳です。正確にはギリシア語ではCHRISTOS(ΧΡΙΣΤΟΣ)と書きます。クリスマス(X'mas)のΧはギリシア文字のΧから来ているのでして、ローマ字のXとは関係ありません。

相次ぐ外国勢力によるパレスチナ支配の下で、メシアを待ち望む期待は人々の間に一層高まって行きました。他方、形だけ律法さえ守っていれば良しとするサドカイ派や、ローマの支配層と結んで自分達の権利を守ろうとするパリサイ派が力を持って行きました。

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