最も古い福音書作者マルコによると、イエスの教えの中心は「時が満ちて、神の国が近づいた。悔い改め、福音によって信じなさい」(マルコ1-15)というものでした。
このようにイエスは「神の国」=神の支配がやってくる事を人々に告げたのでした。しかしその中身について詳しくは話していません。ただ人々に神の国がやってきた時に、どのように生きるべきかを語っています。
イエスは律法に形式的に従うだけでは十分ではないと考えました。たとえば律法では安息日に働く事を禁じていますが、病人を見ても安息日だからといって治療しないのは愚かな事であると彼は語っています。
外に現れる人間の行動でだけ律法を守っていては神の教えに忠実でないと考えたのです。情欲を抱いて異性を見ただけで、姦淫をおかしたのと同じであると彼は言います。形式だけではなく、心の中のありようが伴わなければ律法は意味を失うと主張したのです。
神に対する信仰とは、このように心の持ちように関わるのですから、行動によってだけルールを守っていたのでは十分ではないと考えたのです。
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