死の定義2
道徳的諸議論
- 人間の死とは、社会的および道徳的概念であって決して生物学的概念ではない、とする立場。喪に服する事、生命維持装置を外す事、生きている臓器を移植用に除去する事を「死への振る舞い」は含むとする。
- 価値がないと考えるものを死んでいると見なすのか?道徳的諸議論からなされる死の定義は間違っている。死の宣告という言語行為の解釈の仕方。
- 死の宣告>異なる行為を行い、他人へ同様に振舞う事を期待する>しかしここから>死の宣告をする事は、異なる行為を行い、他人へ同様に振舞う事を要求するという意図を述べる事であるという帰結は出てこない。
- 語られる事、語る事による効果、語る事の動機。死を定義する事と、いつ生命維持装置を除去するのが最善かを決定するのは全く別。いくつかの前提。死者に医療を施す事は無意味。生命は常に維持されるべき。生きている者を見捨てるのはいけない。
存在論的議論
従来の医学的慣習の下では生きていると見なされたであろう患者が、死んでいると宣告される。脳機能の不可逆的喪失。脳死患者を死者と分類しようとする議論。
I.生物学的諸議論-生命医学の進歩によって死の再定義が必要になった。
- 患者斉藤が生きていると述べる事は、患者が生きているという主張と共に、その患者が斉藤であるという主張でもある。
- 斉藤の死は、その患者が今まで斉藤であったとしても彼が死んでしまう時か、その患者が斉藤である事を止めた時であるかのどちらか。脳死の時に斉藤である事を止めるとすれば、斉藤の脳死が斉藤の死となる。心的活動能力の喪失が死を構成。存在論的理由。
- 人格同一性の基準。(1)人格性や記憶、その他の心的諸現象における継続性と関連性。(2)物理的身体の空間時間的継続性。
- 脳の同一性だけでは不十分。脳における活動過程の継続性が必要。
- 脳死の身体では、以前それ以前に結びついていた人格の同一性も同じく奪われてしまう。脳が死ねばそこには最早、人格は残らない。
- 上部脳の機能の不可逆的停止がその人格の死を構成する。
メニュー
次回